【Others】写真とアイデンティティ論
こんにちは。宇伊兄です。
たいそうなタイトルをつけていますが、内容はしょうもないです。ぶっちゃけ。
この前、とあるFF内と飲みに行った時です。こんな会話がありました。
「なんで君は宇伊兄って名前にしたの?」
もちろん宇伊兄という名前はハンネであり、自分で付けたものですが、いちおうルーツというか理由はあります。P2Pソフトの「Winny」が由来です。
Twitterを始めたときはバカ正直にSNSに自分の本名をさらすのが異常に嫌で、高校のテストが終わった直後であったことも相まってその時の感情の「オワタ\(^o^)/」をそのままハンネにしてました(この時期を覚えている人はもういないでしょう。もう何年も昔の話ですし)。
しかし、「やっぱり『オワタ\(^o^)/』じゃあなぁ。」ともさすがに当時の宇伊兄も思っていて、新たなハンネ探しをしていた時に、ニュースで「Winnyの製作者が著作権法違反の疑いで逮捕」みたいなのがあって、「『Winny』って名前いいじゃん」ってなったわけですが、「違法ソフトの名前でツイッターするな」みたいなヘンな奴に絡まれたのと、単純にエゴサがしにくかったので、「う」、「い」、「にい」で変換して最初に出てきた漢字を組み合わせて「宇伊兄」が誕生しました。
ただ、ここで一つ思うことがあって。というのも、この宇伊兄にアイデンティティというものはみじんもないのです。
個人的にWinnyというソフトウェアを使っていたわけでもなし。たまたまその時に見ていたニュースに出ていた名前がWinnyだったっていうだけです。これならば、まだ感情を前面に出していた「オワタ\(^o^)/」のほうがアイデンティティがあるといえるでしょう。
このアイデンティティ論は写真にも言えるのかなと思います。
写真ってなにをもって「持ち主」を決めるのでしょうか。写真の「持ち主」の定義がシャッターボタンを押した人だとしたら。これは単純で撮影者これすなわち「持ち主」であるという考えなわけですが、三脚を立ててフレーミングを調整して露出の設定も完璧に仕上げたAさんのカメラのシャッターボタンをBさんが押したら、その写真はBさんの「持ち物」になるわけです。これは個人的には釈然としません。
PhotoshopやLightroomに代表されるようないわゆるRAW現像を行った人が「持ち主」なのでしょうか。この場合は三脚を立ててフレーミングを調整して露出の設定も完璧に仕上げたAさんのカメラのシャッターボタンをAさんが押して一度「Aさんの持ち物」になった写真をBさんがRAW現像した場合は、いったい誰の「持ち物」になるのでしょうか。これはBさんが「持ち主」になるのでしょうか。
イラストレーションや音楽、文芸など様々な創作物がありますが、写真ほど「製作者」の線引きが曖昧な創作活動はありません。別に時間をかければかけるほど愛着が湧くものでもないし、カメラを持った二人組が同じ被写体を同じ位置から撮影した場合、「個人差」を生み出すのは至難の業です。
自分は自己表現をするために写真の道を歩み始めたのに、逆に自己を失っているのかもしれません。
0コメント